【12月コラム】〜母子実家生活で見た限界と自分で決めるを実践〜

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2021年も師走となりましたが、

変異株報道や相変わらずのマスク生活に、

一体いつまでとうんざりする今日この頃。

もはや年始なんて昔話のようですが、

12月のコラムとして、

2021年の振り返りを綴りたいと思います。

 

この度12月のコラムを担当させて頂きます、

キャリアカフェ運営メンバーのピロリです。

わたしは、2人の未就学児の母です。

2019年末に

夫の仕事都合でインドネシアに引っ越しましたが

渡航後すぐにコロナウイルスが発生。

母子のみ日本へ一時帰国するよう、

会社から命じられ、私の実家に退避しました。

一年を超える実家生活の後、

2021年5月には実家から

母子のみで都内に引っ越し、復職。

そして2021年12月、

念願叶って再度インドネシア入りを果たしました。

 

そんな私の2021年振り返り。

振り返ってみると、筆が進む進む。

非常に長くなってしまったので

精神的に一番辛かった2021年前半をメインに、

感情に焦点を当てて綴りたいと思います。

 

題して、予想以上に長引いた

”母子実家生活で見た限界”と

”自分で決めるを実践!母子引っ越しと復職”です。

 

女性、駐妻、子持ち、職アリ、実家は3日が限界、

などの私と同じ属性でなくても、

コロナ禍で選択肢が減ってしまったり、

思ってたんと違う!

という経験をされた方は少なくないはず。

そんな中でも、

ここぞ!という場面を見つけて決断すること。

自分で決めた実感を持つこと。

それが、人生の充実度というか、

しんどい時に他人のせいにせずに

腹を括れる感というか…

そうなふうに感じでいます。

 

30代半ばの1人だけの経験に過ぎませんが、

何かのお役になれれば嬉しいです。

大前提として、

私は幼い頃から早く一人で暮らしたい、

実家を出てからは顔は出すけど長居せず、

という冷めた性格です。

(両親との関係は良好です!)

 

1.母子実家生活で見た限界

さて、2021年の正月。

楽観的かつ実家に飽きていた私は、

医療従事者でもなければ、

特に重要キャラでもないくせに、

ワクチンをさっさと摂取して、

4月になったら、無理だとしても夏くらいには、

夫のいるインドネシアに戻れるかしら、

と思っていました。

 

そこで盲点だったのは、2点。

1つは、そもそもそんなにすんなり

ワクチンを打つことはできないこと。

2つめは、下の子供の成長。

即ち、魔の2歳児、ギャング化でした。

 

規模もスピードも未知数の

国を挙げたワクチン摂取運動の中、

前述の通り、私のような属性の者には

待てど暮らせど市役所からワクチンクーポンが

届く気配はありませんでした。

今思えば当たり前ですが、

その時の無力感は苦痛そのものでした。

終わりの見えぬ住所不定無職状態。

喉に魚の骨がずっと引っかかって取れない、

そんな感じでした。

 

その間に下の子は

ぐんぐん知恵と体力を身につけていきました。

さすが二人目。

実家でたくさんの大人に囲まれていることも

成長にはよかったのでしょう。

インドネシアから帰国したばかりの時は、

痩せっぽっちでまだ歩けない赤ちゃんだったのに、

今では体はむっちり、

意思のはっきりしたちびっ子ギャング。

遊びに行きたがるくせに歩かず、

靴も脱ぎ捨てる。かと思ったら、

興味の向くままに触る、走る、転がる。

 

下の子をかわいいと思えなくなっていたこの時、

通りすがりの方が、「今が1番かわいいときね。」

とかけてくれる言葉が心にグサグサ刺さったのを

今でも忘れられません。

かわいいはずなのに、

母親の私がそう思えないなんて、最低だなと。

夫がテレビ電話の向こうで

「可愛いね」「たくさん遊んであげてね」

という言葉にも、

テレビ電話の平面パパが何を言う!

的にいちいち突っかかっていました。

その頃、遅ればせながらYouTubeにはまり、

YouTuberならぬyoutubee(employee的な)

として日々活動していました。

超有益な動画の数々に魅せられる一方で、

時を消耗するだけで、

結局何も進歩しない

自分への焦燥感もあったのでしょう。

 

実家の父母も、

日々破壊されていく家と

幼児二人に乱される生活リズムに

疲弊しているようでした。

それもそのはず、

コロナと同時に突然家を占拠され1年超。

老後の穏やかな暮らしを、

言って聞かぬ未就学児達に

奪われ続けていることを想像すると

無理もないですよね。

15年ぶりに暮らす、

口うるさい断捨離娘との

ジェネレーションギャップもあったはず。

私が70歳手前で同じことをされたら

発狂する気がします。

 

しかし、その当時そこには

大人になれない私がいました。

なぜ大人の手があるのに、

もう少し手伝ってもらえないんだろう。

少しみててもらうだけなのに嫌な顔されるなんて。

共働きだった父母は

私だけでなく孫とも楽しく遊んでくれない。

 

こんな自分勝手な感情ばかり湧き上がって、

事あるごとに夫に愚痴を言う自分が嫌でした。

 

親の意地なのか、

私が末っ子次女特有の

親のキレポイントを掻い潜るのがうまいからか、

最後まで出て行け!とは言われなかったものの、

心地よい雰囲気ではありませんでした。

 

そこで当時、

言語化にハマっていた私が感じたのは、

実父母はサポーターであり、

パートナーではないということでした。

それが何?という感じですが、

これらの言葉の違いを明確に突きつけられました。

 

彼らは私の親だけど、

私の子供たちの親ではない。

私のパートナーは夫であり、

実父母は私と対等に子育てする立場にないのだと。

やってもらえたらラッキーくらいに思わないと。

実父母に対しては、甘えてるんでしょうね。

気をつけねば、

今でもこの2つの言葉を混同してしまいます。

 

そんなやり場のない感情を抱えて悶々とするなか、

”復職”というワードがポンと頭に湧いたのです。

 

2.自分で決めるを実践

なにをどう考えても、未就学児を2人抱えて、

夫のいない状況で、

まだ休暇が取れるにもかかわらず、

わざわざ復職するなんて暴挙。

でも、コロナ禍で住む場所も家族の形も

自分の願うようにならず、

いつも不満ばかり夫に吐き出していた

自分を切り替えたかったのだと思います。

不満を解消するには、

自分で決めて行動するのだ!

人生を前に進めるのだ!!と。

他にも、コロナが産んだ少ない手柄の一つである、

リモートワークを経験してみたかった。

そして、何よりも

下の子を保育士さんに見てもらいたかった!

もっと言うなら、

有給を使って

自分だけの休日を作りたかったのです!!

 

キャリアカフェにご参加の皆様は、

働く意欲も能力も才能も溢れる方が多く、

こんな不純な動機で復職するなんて!!

とお恥ずかしい限りですが、

これが不平不満に溢れて疲れたのヤツのリアル…

 

そして、リモートワークといえど、

多少なりとも出勤の必要性はあり、

職場まで1時間以上かかる実家から

都内に引っ越すことにしました。

今でも後悔は全くありませんが、

期間限定実家生活を楽しむぞ!と割り切って、

実家で気持ちを保てなかった自分は

本当に不器用だなーと思います。

実家が楽しすぎる〜とか言ってみたい(泣)

そこまで言えなくとも、

ご実家生活を続けている方々を本当に尊敬します。

 

ちなみに、インドネシアにいる夫は

引っ越しに当初大反対でした。

サポート体制、子供達の環境変化、金銭面等、

様々な理由で。

しかし、反対される度に、

私はこのように思っていました。

そして爆発しました。

実家に預けて万事解決と考えてるおっさん、

もう時が経ちすぎて状況変わってるわ!

一時帰国という便利な言葉で私を縛らないでくれ!!

自由に判断させてくれ!!!と。

あぁ、この時サンドバッグになってくれた

夫には感謝しています。

 

最終的には私の機嫌が家族の幸せにつながると、

全面的に協力してくれました。

 

様子のおかしい妻1人に、

可愛い子供2人を託すのが、

とても不安だったでしょうね笑

フフフ。

 

幼い子供達にも、

引っ越しについて説明しましたが、

どこまで理解してくれたか。

ただ今まで、転勤、待機児童、コロナにより

図らずも環境変化しまくってる上の子は

「またぁ?!」と言うだけで、

飄々としていました。

子供らしくないその反応に、

救われたのと同時に

今までかけてきた苦労と努力を

感じずにはいられませんでした。

 

ありがとう、

落ち着いた環境を

なかなか作ってあげられずにごめんね。

 

…と、ここまでゴリゴリに

前だけ向いて進めた私でした。

しかし、東京生活1日目。

勇んで始めた新生活。

一年超ぶりにインドネシアから戻ってきた

懐かしのベッドで母子3人で眠った夜が

とても静かで、自由で、それでいて不自由で。

子供の寝顔を見ながら、

なぜ私は一人になってしまったのか?

と自然と涙がポロポロ溢れました。

これは私にとって腹を括るきっかけになりました。

コロナ禍で初めて

自分で生き方を選べた瞬間だったように思います。

ババアの一人泣きにより、

自分とって譲れないことが

さらに明確になりました。

 

“どこでも良いから家族一緒に”

 

私にとっての危機はコロナではなくて、

家族がバラバラになることだ。

そこで復職したいと思った感情とは

相反するものですが、

渡航可能な状況になったら、

躊躇なく夫のいるインドネシアに行こう、と。

 

そして、2021年12月、

満を辞してインドネシアに入国し、

家族4人揃うことができました。

 

family

 

出国直前に、変異株による急な規制変更に伴い、

多々問題が発生したものの、全部ぶっ飛ばして、

あの夜誓ったように躊躇なく

家族が揃うことを選びました。

 

空港で夫に飛びつく子供たちをみて、

この選択は間違いではなかった、

と強く思いました。

そう感じさせてくれた夫と子供たちにも

本当に感謝しています。

と同時にホッとしてお腹壊しました…

辛すぎて人間から水鉄砲に変身したと

妄想して過ごしました。

 

3.最後に

約1年半のコロナ禍母子生活。

喜怒哀楽たくさんの感情がありました。

幸か不幸か子供は

それに関係なくぐんぐん成長してくれましたし、

私は自分の気持ちや体や健康と

向き合う良い機会になりました。

その甲斐あってか、

少しだけ痩せたことと、

ニックネームにした

胃のピロリ菌除去ができました。

価値観を問う

絶好の機会だったとも言えるでしょう。

 

後半、復職から再渡航まで

話が一気に飛びましたが、

その間もやりきれない事や

どうにもいかない事も多々ありました。

しかし、実家で悶々としていた日々に比べると、

私にとっては小事でした。

とるに足らないことなのです。

それもこれも、あの時自分で選んだからじゃん。

と思えたから。主語を自分にできたから。

 

再度渡航できた今でも思うことは、、、

一時帰国については納得しているけれど、

私にとっては夫であり大親友を、

子供にとってはパパであり偉大な兄を

奪われたことは解せない。

家族一緒にいられる今になっても、

女々しく、深く、トラウマになっています。

 

いや、うそです。一時帰国も納得してない!

未だに知らん偉いおっさん(失礼)に、

勝手に決められて帰された気持ちは忘れ難い!!

これから人生でも

自分の計画通りにいかないことは

多々あるでしょう。

けれども、少なくとも子供たちの小さい今、

家族の形は自分で納得して選択したい、

そう思います。

 

一人でも多くの方が、

ご自身の望む家族の在り方を実現できますように。

そう願ってやみません。ありがとうございました。

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